「………わぁーーー!!!」 「五月蝿いよ、英二…」 その日の夕方、青学テニス部3年の菊丸英二の悲鳴が近所に響いた。 と言っても、怪我をした訳でも、怖い思いをした訳でもない。 彼がこうなった原因はただ一つ。目の前にいる青学テニス部1年、越前リョーマにあった。 > 夏祭り 「ヤバイよ、リョーマ!」 「ヤバイって…。そんなに似合ってない?…やっぱ私服にしようかな」 くるっと部屋に戻ろうとするリョーマを、菊丸は慌てて腕を引っ張って止めた。 「違う、違う!あんまり可愛いもんだから、叫んじゃっただけ!!」 「可愛いって……」 似合ってないどころか、よく似合っている。鮮やかなブルーはリョーマの漆黒の髪によく映えた。 「良かったー。姉ちゃんのやつ、サイズがピッタリで」 「………」 その言葉に、リョーマはむすっとした表情になる。 今日は夜から夏祭りで出店などが出るから、一緒に行こうと二人は約束していた。 リョーマは私服で行くつもりだったが、「ムードが欲しい!」と騒いだ菊丸に負け、浴衣を着る事になったのだ。 しかし菊丸のサイズではリョーマには大きくて、ちょうど家に居たお姉さんのものを借りたのだった。 …つまり、女物の浴衣である。 「可愛いー…vv」 「どうせ俺は小さいよっ!」 リョーマは不機嫌そうに言うと、菊丸の腕を逃れた。 怒らせてしまったかと、菊丸は慌ててその肩を抱く。 「小さいとか、そういう意味じゃないよ?リョーマは格好良いけど可愛いの!」 「…何それ?」 「男らしいとこいっぱいあるけど、俺に甘えてくれる時とか可愛いからね」 リョーマは信じられない、という表情をした後、一室に入って行った。 そこはリビングで、現在菊丸の兄二人と、姉二人がくつろいでいる。 重要なのは、菊丸家は家族全員がリョーマ大好きであるという事。血筋のなせるワザというやつだろう。 「あの、浴衣有難う御座います」 「きゃーvvv可愛いー!良かったー、昔に買った浴衣とっておいて!」 「ほんと可愛いわねー。女の子に見えるわ」 「おいおい、お前らより似合ってるんじゃねーの?」 「だよなー。姉さんが着たって…ゴホッ」 次兄は姉に睨まれて咳払いをすると、リョーマの肩をそっと抱いて耳打ちした。 「良かったじゃん、女の浴衣で。…英二と、人目気にせずイチャつけるぜ?」 「!!!」 みるみるうちにリョーマの顔は真っ赤になった。 どうやら次兄の言葉は他の兄弟には聞こえなかったようで、次々に非難の声があがる。 「ちょっと!アンタリョーマ君に何言ったの!?」 「リョーマ、そいつ手が早いから気をつけろよ」 「リョーマ君に手を出したら承知しないからね!」 散々に言われ、次兄は肩を竦めるとソファーに座り直した。 ここでやっと、ボーとしていた菊丸が兄に噛み付いた。 「兄ちゃん!リョーマは俺んだからねっ」 「はいはい。分かってるから早く行けって」 次兄に言われてリョーマが時計に目を走らせる。 すでに六時に近づいており、祭りが始まる時刻であった。 「混んじゃうと面倒だよね。もう行こ?」 菊丸はまだ兄に何か言いたそうだったが、リョーマの誘いの方が優先なので大人しく身を引いた。 …が、リビングを出る際に一言。 「リョーマに手を出したら、お弁当作ってあげないから!」 「「「「………;」」」」 それは困る。と四人の顔にありありと浮かんでいた。 けれどリョーマにぽかっと殴られている末っ子を見て、兄姉達は心底思っていた。 ((((英二って、かなりの確立で尻に敷かれるな(わね))))) …と。 「ねー、リョーマは何やる?!」 「…英二、はしゃぎ過ぎ…」 先程からリョーマと手を繋いで歩いている菊丸は、始終ご機嫌であった。 その訳は、数分前にさかのぼる。 『…ねぇ、あのカップル…』 『お似合いね。男の子はレベル高いし、女の子は美人だし』 『あーあ。私もお似合いって言われるぐらいの恋人作りたいなぁ』 出店でカキ氷を買うために並んでいた際、女の子二人組みが囁いていた言葉。 リョーマには聞こえていなかったようだが、耳の良い菊丸はバッチリ聞いていた。 そしてそれからというもの、機嫌良くリョーマの手をぎゅっと握っているのだ。 「英二、どうかしたの?」 「んーん。…俺たちさ、他の人から見たらどんな風に見えるかな?」 「…兄弟、とか?」 「…リョーマ;;;」 こんな可愛らしい格好をした子を、誰が男だと思うんだ!と声を大にして叫びたかったが、寸での所で飲み込んだ。 菊丸は気持ちを落ち着かせ、言い聞かせるように喋った。 「あのね、今のリョーマは女の子にしか見えないんだよ?」 「…でも…恋人には見えないでしょ」 「う〜、もうリョーマってば…;」 リョーマは自分の事となると、とことん鈍い。自分が今、どんなに可愛いか。 作文が嫌いな菊丸だが、その可愛さをつづった文章なら何枚でも書ける自信があった。 「ま、そこがリョーマの可愛いとこだけどね。…何しよっか?」 「ん…あれ、やりたい」 リョーマが指差した方向を見ると、金魚すくいの店があった。 「いいの?リョーマの家、カルピン居るでしょ?」 「平気。英二に飼ってもらうから」 「…;;はぁーい…」 やっぱりそうなるのか。と大体予想した通りの返答に、菊丸は苦笑した。 確かに菊丸家では猫を飼っていない。少しだけなら、金魚も飼えるだろう。 「はい、お金」 「え?いいよ、自分で出す」 出店のおじさんにやる事を告げたリョーマに、菊丸は小銭を渡す。 しかしリョーマはそれに眉を寄せた。 「いーの。恋人の出費は払うのがジョーシキってやつだよ」 「…ふぅん。ありがと、英二」 少し不思議そうな顔をしながらも、にこっと微笑んでお礼を言うリョーマ。 仲の良さを見せ付けられた出店の男は、にやにやしながら「頑張んな、おじょーちゃん」と一言。 リョーマは複雑そうに「ありがとう」と返事をし、金魚すくいの網を受け取る。 そしてしゃがむと、真剣な目つきで金魚の動きを追った。 優雅に泳ぐ一匹に狙いを定め、網を水に入れた。 「……………あっ!」 「あちゃー、残念だったな。嬢ちゃん可愛いから、二匹おまけであげるよ」 「ほんと?有難う」 ビニールの袋に入った二匹の金魚を見て、リョーマは満足そうに微笑んだ。 そして今まで後ろから自分を見ていた菊丸を振り返り、言った。 「英二もやったら?見てるだけじゃつまんないでしょ」 「あー…うん。そだね」 菊丸は少し言葉を濁した後、男にお金を払い、網をもらった。 「…よっ!」 ピチピチと、器の中でもがく金魚。菊丸は慌てて器に水を入れた。 「危ないにゃー。ごめんよぉ、金魚達?」 「……すっごい!上手じゃん、英二!」 「へ?」 感動しているリョーマを見て、菊丸は首を傾げた。 金魚すくいでこんなに喜んでもらえるとは思っていなかったので、少々面を食らったのだ。 「俺の最高記録、17匹だよーん」 「え!そんなにとれるの?」 「まぁねん。…ほい!」 今度は二匹同時に網にかかり、三匹の金魚が器を泳いだ。 それから網を破ることなく金魚をすくっていく菊丸を見て、出店の男は唖然とした表情でいた。 「ほいっ!…今日は、こんなもんでいいかな」 合計10匹。それを男にずいと突き出した。 「はい、破けてないけど…もういいや。袋にいれてちょーだい」 「お、おう…。しかしすげぇな、坊主…」 感心しきっている男を余所に、リョーマは嬉しそうに微笑していた。 目敏くその表情を見た菊丸は、居ても立っても居られず、口を開いた。 「ど?惚れ直しちゃった?」 「………うん!」 珍しく素直に認めるリョーマに、菊丸は照れたように赤茶の髪を掻き揚げた後、金魚の入った袋を見た。 「さぁーてと…この子達はどうしよっかにゃ?」 「え?飼うんじゃないの??」 「んー、これはちょっと多いしね。…あ、ねえねえ」 たった今金魚すくいに失敗し、店の男から一匹おまけで貰った男の子。 それでも不満らしく、べそをかいている。 その男の子に、菊丸は明るく声をかけた。 「おにーちゃんさ、金魚さんとり過ぎちゃった。もし良かったら、飼ってくれる?」 「!」 男の子は目をパチパチとさせた後、嬉しそうに笑った。 「ありがと、お兄ちゃん!…ちゃんと、大切に育てるね」 「うん。可愛がってやってね」 男の子は満足げに袋を手にし、ぐずった子供に手を焼いていた母親はお礼に頭を下げた。 去っていく親子に菊丸は手を振った後、リョーマの方を向き直した。 「…ほんと、要領良いッスよね。自分は金魚手放して、相手にも良い思いさせちゃうんだから」 「にゃはは、そーんな邪な思いはないって。ただあの男の子にあげた方が、金魚も幸せだろうし」 菊丸はにぱっと笑うと、リョーマの手に握られている袋を指差した。 「それに、俺は二匹で十分!…なんかさ、俺とリョーマみたいじゃない?」 「え?」 袋の中を覗いて見れば、二匹の金魚が仲良さそうに寄り添っていた。 リョーマはそれを見て顔を赤くし、袋を菊丸に押し付けた。 「んなわけないでしょ!…俺達は、もっと仲良いもん」 「! …そだね!」 リョーマの言葉に菊丸は嬉しそうに笑い、その手を愛しそうに握り締めた。 二人の行く末に、愛だけがありますようにと心で願いながら。 |